夜更かしをやめろ

夜更かしをやめるために日記をつけています。

2024/07/01 Authenticity理論

今日も雨。6月が終わり、7月が始まる。残り半分もせいぜい楽しくやっていく。それはそうと、蒸している。

 

今日もなんだか忙しかった。おそらく外国人の客がきて、アイスコーヒーを注文したが「やっぱりいいです」と言って返金を受け取らずに行ってしまったり、こぎれいな格好の推定70代男性が店に置いてあるギターやピアノを見て感心したりしていた。昨日、高校生が来てギターでヨルシカの「春泥棒」のイントロを弾いていたのを、昨日の日記に書き忘れた気がする。

 

考えることは多かった。まあざわざわといろいろなことを考えてしまったという意味。

 

帰る直前くらいに友人が貼った記事を読んだら、「authenticity = 心から好きということ」みたいなことが書いてあってたまげた。よく読むとまあ論旨は分かる。だが実際にはauthenticityは「真正性」とか「ほんものであること」と訳すのがふつうだし、学術的な文脈で用いられるときも、別にその原義からたいして離れたものではない

 

なぜ「心から好きであること」と「ほんものであること」が同じことのように見えるのだろう。答えは上掲のWebsterに書いてある。「true to one's own personality, spirit, or character(その人自身の人格や魂、性格に照らして真である)」。逆に言った方が分かりやすい。「人格・魂・性格に嘘をついていない」こと。心からそれがそうであるべきだと信じていること。まあ、自分に嘘をつくことが好きな人はあんまりいない。

 

Authenticityは、シチュエーションによってはたんに心情の問題にすぎない(本人がそう信じていればそれでauthenticと言える)場合もある。好きとかはまさにそれで、そもそも好き嫌いという感覚に本物も何もない。本人がそう信じていれば、それ以上の「本当」はない。だが、他者にとっては違う。メカブを好んで食べる人が、モズクを嫌っていたら、「本当に?」と一貫性を疑ったりするだろう。あるいは、「マンガが好きでなんでも読みます」と言っていた人が実は『呪術廻戦』しか読んでいなくて『ハンターハンター』の存在すら知らなかったら。ぼくらはきっとその「好き」のauthenticityを疑うだろう。

 

この場合のキーワードはおそらく「convincing(説得)」で、「自らをconvinceする」authenticityと、「他者をconvinceする」authenticityがある、と一度この複合的な概念を2つに分解してみたほうが筋がいいだろう。自己をじゅうぶん説得できればアイデンティティを確認することになるし、他者を首尾よく説得し社会的な認知を獲得すれば、困ったときには手助けしてくれるようになるかもしれない。

 

簡単な例で言えば、趣味を訊かれて、「音楽が好きです」と言うと、「私も好き。どんなの聴くの?」と訊かれいくつか好きなバンドの名前を挙げるとする。そのリストを受け取った相手が「この人は本当に好きなんだ」とconvinceされれば、ライブのチケットが余ったら都合してくれたり、興味のありそうなCDとかMDとかを貸してくれたりしたかもしれない。そこではかられているのは、authenticityというよりはenthusiasm(熱意)と言うべきかもしれないが。

 

上掲の記事ではこういう話をしたかったのではないか? と思っている。内的善の話とかはあんまりしなくてもよいし「本当の気持ち」とかいう到達不可能な対象についても話さなくていい。

 

また、「アイデンティティ」という言葉もあいまいで始末に負えない。けっきょく自己認識は多重性をつねにはらんでいる。他者からの認識はすぐに自分自身の視線として内面化されるし、「他者からの認識」自体がすでにゆがんでいる。「本当の」とか「真の」という言葉は問題を単純化するときに使うものだ。だから「本当に好き」とかいう感情は、概念的なものではあり得ても、実際の人間の心情はそんなに単純ではない。つねに疑いがさしはさまれ、その度に再強化を必要とする。

 

そしてこれは別にゲーマーに限った話でもない。意外と世の中の人はこっそりと趣味にプライドを賭けている。車の色をからかったらもう二度と口をきいてもらえなくなるかもしれないし、本当に大事なコレクションは自分以外の誰にも見せないのかもしれない。少なくとも、それはそんなにめずらしいことではない。

 

まあ、だから結構むちゃくちゃ書いているなと思ったが少し整理したらすっきりした。それをauthenticityと呼ぶのなら、このような話になる。

 

こんな時間まで起きていたのはこれを書いていたからではなく、スト6をやっていたからです。蝸牛のごとき歩み。知人が歌会をやっているのをみて、ぼくも短歌を詠んだりしようかなと思ったのを思い出した。寝ます。おやすみなさい。未飲酒。