夜更かしをやめろ

夜更かしをやめるために日記をつけています。

この日記の基本ルール

この日記は@broccorymanが夜更かしをやめるための日記です。

そのため以下のようなルールが課されています。

  1. 日記の中で「これから寝る」と宣言し、実際に寝ること。
  2. 日記を書き終えた直後にベッドへ行くこと。
  3. 日記は日付が変わる前に書き始め、日付が変わったら可能な限りすみやかに書き終えること。この日記のための時間は1日30分以内に収めるのが好ましい。
  4. 書き始める前に風呂を済ませておくこと。(2024/04/14追加)
  5. 文章のみの簡素な日記にすること。画像など時間がかかることはやらない。
  6. 酒を飲んだ日は必ず「酒を飲んだ」と書くこと。可能なら具体的な量も。
  7. 書けなかった日のことは、次の日記を書く際に3行でまとめること。
  8. 日記を意図的にサボるのは月に5回までとする。(2025/01/24追加)

2026/06/06

友達と宝登山に登った日。早起きにも成功し、朝マックを食べながら秩父に向かう。途中道を間違えたりしたものの、ほぼ予定通りに西武秩父駅について友人たちと合流した。

 

10時頃から宝登山を登り始める。なんかあっという間に山頂に着く。低気圧でやや頭痛があったものの、まあこれくらいなら何とかなるかという感じだった。山頂では人々が楽しそうにしていて本当に良かった。

 

かき氷を食べたり、温泉に行ったり夕食を食べたりしてから21時ごろ帰宅。帰り道に赤いロードスターを見た。おじさんの助手席で、妻らしき女性がぐったりとした様子で眠っていた。本格的な夏に入る前の、今日のような涼しい日に、ルーフを開けて風を楽しめること。それに三、四百万円かかるとしても、それだけの価値はあるとその夫婦の姿を見て感じた。

 

寝る。未飲酒。おやすみなさい。

2026/05/31

最高の天気。友達の家で遊ぶ予定があり、朝から移動。近い。

 

友達の家で友達が作ったタコスを食べたり、移動して公園でまたタコスを食べたりする。最高の風があり、最高の日陰があった。公園でなら、10人くらいの集団は小集団に過ぎない。デイキャンプを楽しむテントがいくつか立っていて、またテントが欲しくなった。日が暮れだすと蚊に襲われ始めたので、解散したあと、夢庵で友達と夕食を食ってから帰った。

 

友達の引っ越した家で友達の家族とその暮らしをかいま見た。結婚というものに憧れがあるとすれば、こういう意味だと素朴に感じる。したがって、公園での会話も結婚とか子育てとかそういう話題になり、なんかこうすごく人生だった。そして自然、自分の人生観と向き合う形になった。

 

友達と話していて、「エモーショナルになってるよこいつ」(SEEDA vs 晋平太)と自分に対して思ってしまったので話すのを中断した話があり、それは話さないまま解散になってしまったので、ここに書いておく。まず、結婚とは、今までの人生における相手への関与・相手からの関与を不可逆のものとしていったん肯定するということ、それの制度化されたものだとぼくは思っている。それが誓約の形式を伴うのはなんら不思議なことではない。なぜならそれは(本来固定できないはずの)解釈を固定しようとする行為だからだ。つまり、あらかじめ結婚するべき二人がいて結婚するのではなくて、彼らが「最初から私たちは結婚するべき二人でした」と事後的に・自主的に・被運命的に・パフォーマンス的にいちど定義しなおすことによって、結婚が成立する。

 

もう一度整理。結婚とは、「今までの人生における相手への関与・相手からの関与を不可逆のものとしてパフォーマンス的に肯定する」制度である。だが、人生において、可逆的な関与などあるだろうか? ないといってもいいし、あるといってもいいかもしれないが、ぼくは、究極的にはない、と考えている。赤ん坊が、かれが生まれて11か月になるころに、泣きそうになるたびにたくさんたくさん構ってもらったことを将来忘れてしまったとしても、かれに与えられた愛はきっと赤ん坊を強くするだろう。少なくとも、私たちはそう信じたい。信じるべきだとさえ思う。信じることしかできないとも言う。いや、とりあえず今は、信じることに決めた、とさえ言えばいいのだ。それこそが、「パフォーマンス的肯定」の意味だ。この場合、それで実務上の問題はきれいになくなる。それが結婚だ。この点で、ぼくにとって結婚は楽観的でも悲観的でもない。おのおのの人生はつねに多義的だが、あの一瞬に「そう信じることに決めた」のだという事実をピン止めすることでしかなく、結局、結婚それ自体の効力はいま現在どれだけ信じられるのかに依拠していると思う。というか逆に、結婚生活それ自体が不安定になったときはじめて「信じることに決めた」ことが最初からパフォーマンスによって支えられていたことが前景化してくるのだ。

 

そしてぼくは自分の人生のなかの他者をできるだけたくさん覚えておきたいと感じていることが分かったのだった。ぼくは人生の重荷を、できるだけたくさん背負って歩いていきたい。もらったものも、負わされたものも、下ろすことができない。もう、それが人生というものなんだと信じこんでしまっている。ようは、はなから信じたくてたまらないのだ。そうすれば、すくなくとも心もちで解決できる問題はいっさい解決し、ぼくは善へ、力へ、愛へまっすぐに向かえるようになるのではないだろうか? このあまりにも形式的な楽観主義、それ自体をぼくは信じたいと感じている。現実はおそらくそう単純ではないとしても。そしてすくなくともぼくは今日そう信じようと思ったことを素晴らしいと思って、それをここに記録したいと思っている。重要なのは、今はただそれでいい、ということだ。

2026/05/25

暑さの再来を感じる。祖母が焼きそばを買ってくれていたので、それをもって店に向かう。最近、抹茶を摂取すると体調がいい気がするので、抹茶フェアをやっているローソンに行ったが、抹茶味のお菓子ばかりで抹茶はなかった。

 

暇な一日だったが、植物をいじったりしているうちに長男氏がまた来る。少しだけ勉強を教えるが、いい感じにやる気が出てきているようで良い。まあ、結局やるしかないということだし、彼はやれるタイプだと思う。

 

カインズに行って買い出しをして、帰宅。レシートを紛失した気がする。また焼きうどんを作って食べる。春は終わりつつあるが、やはり焼きうどん。人間と話したりTFTをやったりしてこの時間になった。寝ます。おやすみなさい。未飲酒。

2026/05/23

早起きに成功。祖母を乗せて、またホムセンに行き買い物をした。祖母を帰宅させてから給油をし、店に向かい、店。天気はあまりよくない。夕方、長男氏が来たりして勉強を教える。帰るころには小雨が降っていた。春の雨、という感じで、そこまで激しくはないが車を降りるときはしっとりと濡れた。

 

帰宅して飯を食って風呂入ったあと、少し元気。早起き効果か、一日が長かった。2日ぶんくらいある。そして終わる。寝ます。おやすみなさい。未飲酒。

2026/05/22

久しぶりに日付が変わる前に日記。明日の朝は早起きする予定。

 

今朝少し早く起きて、ホームセンターに行った。明日何かイベントがあるということで、9時からだったのでまた来ることにする。つまり明日また来る。。。。

 

店で仕事をしていても、曇天で客がいないので暇。工事の担当者と話したりして過ごす。帰宅してから飯を食い、比較的早めに寝る準備を整えたあと人間と話しながら少し遊んだ。寝る。おやすみなさい。未飲酒。

 

 

2026/05/21

木曜日。眠すぎる。寝不足の一日。

 

そこそこ忙しい日で、弟の友人が来たりして嬉しかった。帰宅してからとねぶんを録音して公開。今回は、最近ハマっているデスノート回。

 

youtu.be

 

デスノートは、ぼくの中ではすでに味わい尽くした、だしがらのようなものだと思っていた節がどこかあったが、見直してみると全然そんなことはなくてよかった。細部も意外に作りこまれていて、とくに松田が月にトドメを刺す役を担うのは良い。一方で、ニア・メロは今読んでもぽっと出感が否めなかった。というか、L vs 月で決着がついていた部分を丁寧にやったという感じがして、Lを超えられたという感じがあまりないのだと思った。当時は感動したが。

 

寝ます。おやすみなさい。未飲酒。

2026/05/20

休日。昼過ぎに起きる。予定通り。少し遊んでから店に行って、水やりをする。家を出るときに、昨日から財布が見当たらないことに気づいてだいぶ焦る。そして帰宅してから母と話していたら急に見つかる。どういうことだ?

 

帰ってきてからも結構遊んだ。財布をなくしたと思っていたせいで、何も手につかなかったので、その分を取り返そうという心理が働いた。

 

寝ます。とねぶんの録音は明日に回す。おやすみなさい。飲酒350mL。