夜更かしをやめろ

夜更かしをやめるために日記をつけています。

2024/04/18

いい感じの時間に起きられたが、途中でスーパーに寄るのを忘れて微妙に遅れた。1敗。

 

以下、MCUアベンジャーズシリーズ)のネタバレを含みます。いちおう。

 

 

「ブラック・ウィドウ」がそうとう良いので、これについて何か書こうと考えている。LWくんの「MCUの思想変遷」を引用して言えば、「エンド・ゲーム」は「大義の下に報復を行うアベンジャー」=トニー・スタークの終わりだった。しかしだとすれば、残されたトニー・スタークの家族は、なんのために描写されたのだろう?

 

「インフィニティ・ウォー」時点で、トニーはすでにペッパー・ポッツと結婚しており、そこから5年後の「エンド・ゲーム」時点では娘をもうけていた。「エンド・ゲーム」のメインシナリオである時間遡行作戦を開始する前に、トニーは「今の家族との暮らしを失わないこと」を作戦の条件に入れていたはずだ。

 

むろんトニー・スタークの英雄性をそこに見ることもできるのだが、ぼくはラストシーンでペッパーが死にかけたトニーに別れを告げるシーンに感動できなかった。トニーの内なる葛藤がまだ描かれていなかったからだ。家族を守り、さらに世界を守った、とはたして言えるだろうか? 「エンド・ゲーム」のシナリオ上、ぼくにはトニーが娘のモーガン・トニーの父としてではなく、ハワード・スタークの息子として、つまり家族的因縁によってではなく、血縁的因縁によって決断したようにしか見えなかった。

 

あと、世界を託されたサノスが娘たちに恨まれているというバックグラウンドが都合がよすぎるというか、ここについて考えれば考えるほどサノスのヴィランとしての都合の良さが浮き彫りになる。サノスについても、まだ整理できていない部分はいくつかある。サノスが「娘を愛している」がゆえにソウルストーンを手に入れることができた、という部分とか。

 

上記のようなことを考えたときに、「家族的因縁」の問題を深堀りした作品が「ブラック・ウィドウ」なのでは? とか考えている。

 

今日はそこそこ暇だったのでそんなことを考えていたら一日が終わった。いや「ブラック・ウィドウ」本当に名作かもしれない。

 

もういい加減寝る時間なのでとにかく寝ます。おやすみなさい。